『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』
●ヤフーニュースに「面白い」と紹介されていたので、図書館から借りてきた。
タイトルの通り、鳥類学者が恐竜について解説する本である。
はじめにで、「本書の主題は、鳥類と恐竜の緊密な類縁関係を拠り所とし、鳥類の進化を再解釈することと、恐竜の生態を復元すことである」とある。後者は成功しているが、前者は成功しているとはいえない。したがって、やや甘いが、評価は★4つである。
1.恐竜の生態を復元する
この部分は本書のほとんどを占めるが、面白い。★4つである。「恐竜学における種とは、形態から判断される種である。化石からは、ある個体と別の個体が、交配可能かどうかを見出すことは不可能である」とあり、なるほどと思う(41P)。恐竜学者は当たり前と思うだろうが、私のような一般読者には新鮮な視点だ。
食性についての記述も面白い。「たとえば、種子食といわれるハトは、確かに権兵衛さんがまいた豆をよく食べるが、一方でミミズや昆虫などもよく食べる。…全体を見渡してみると、動植物共に対応可能な雑食性の鳥が多いのも事実だ。そう考えると、形態だけで、恐竜の食性がわかろうはずがない」とあって、なるほどと思う(177P)。
というわけで、「恐竜の生態を復元する」の部分は面白い。
2. 鳥類の進化を再解釈する
この部分は不十分である。どの部分が「進化の再解釈」なのかわからない。だから、★1つ減点である。例えば、鳥が先か、卵が先か(92P)で羽毛の役割について述べていて、この部分が進化の再解釈にあたるのかもしれない。
しかし、進化の再解釈で一番重要な、「なぜ鳥が誕生したのか」「なぜ鳥だけ生き残ったのか」についての説明がない。しかし、この説明を著者に求めても無理だろう。なにしろ、生物学、古生物学、恐竜学等々、鳥と恐竜に関するあらゆる学問分野を探しても、未だにまともな仮説が存在しない。
@なぜ鳥が誕生したのか
まともな仮説が存在しないのは、肉食恐竜は世界を監視する(235P)の考えに基づくからだ。著者は「被食者側いた哺乳類は、夜行性となることで、昼間の捕食圧から逃れることができた」という意見を採用する。同じ場所に住むと考える。著者は小笠原諸島にくらす鳥類の研究者なのに、「本土と小笠原は違う」のようには考えない。
つけ加えれば、白亜紀の大陸地形についての考察がない。これは著者だけでなく、すべての生物学者と地球科学者に言える。古生代は低地の時代で、シダ植物が繁栄した。中生代は台地の時代で、裸子植物が繁栄した。新生代は高原の時代で、被子植物が繁栄した。大陸の高度変化は生物進化の最大要因だ。
中生代後期の白亜紀は台地の時代から高原の時代への移行期で、台地の奥に標高の高い高原が広かった。高原には巨大なシダ植物や裸子植物は無かった。背の低い被子植物が繁茂していた。高原に住む昆虫は小型で量も少なかった。巨大な恐竜は住めず、小さな昆虫を食べる哺乳類と鳥の世界だった。哺乳類も鳥も巨大恐竜に怯えることなく、のびのびくらしていた。
というわけで、鳥は高原の広がりに適応して誕生した。
A鳥はなぜ生き残ったのか
本書は恐竜の絶滅を巨大隕石衝突で説明する。そして、「鳥や哺乳類が生き延びることができたのは、体が小さく非支配者階級に属していたからにほかならない」という(256P)。しかし、その根拠は弱い。「ここで述べたことも、どのくらい真実に近いのかはわからない」と弱気である。実際、真実から遠いし、間違いである。
そもそも、巨大隕石衝突説が間違いである。白亜紀末は中生代末でもある。世界中で、中生代の地層と新生代の地層の境には大きな不整合がある。不整合は陸の隆起や海退で形成される。巨大隕石衝突では、陸の隆起や海退は起こらないから不整合は形成されない。不整合が無ければ、中生代と新生代の区切りは発生しない。巨大隕石衝突説は中生代末の不整合形成について一切説明しない。
鳥と哺乳類が生き残ったのは高原に住んでいたからである。中生代のテーチス海などの内海は、下層が硫化水素の多い嫌気性の海水で、上層だけが酸素の多い好気性の海水だった。中生代末(白亜紀末)の世界的な地殻変動(アルプス造山運動)で、海底下層の硫化水素を含む海水が上昇してくると、青潮が発生して、内海に住む好気性生物は絶滅した。密度の大きな硫化水素が陸の低地や台地まで広がり、低地や台地に住む好気性生物は絶滅した。硫化水素は水に溶けると濃度が薄くなるので、淡水に棲む生物への影響は小さかった。密度の大きな硫化水素は高原まで広がらなかった。だから高原の生態系はほと変わらなかった。鳥と哺乳類と被子植物と昆虫は、それまでの同じ生活を続けていた。災害を生き残ったというより、平穏な暮らしを続けていたと言った方がいい。
新生代は高原の時代で、鳥や哺乳類や被子植物や昆虫がさらに繁栄した。
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